日々練習を頑張っているあなたへ・・・発声のラストピースは“力を抜くこと”

日々練習を頑張っているあなたへ・・・発声のラストピースは“力を抜くこと”




私がボイストレーニングを学び、小さい声と低い歌声から卒業することが出来た今、耳から鱗であったと実感する技術は2つあります。

ひとつは「喉の奥を拡げること」、もうひとつは「声門閉鎖」です。

前者は共鳴に関わる事項で、方法としては「舌根を下げる」でした。
「舌根を下げる」に関しては、諸説色々ある所ですが、今でも瞬発的に大きな声を出す時は使っています。
「声は変えることが出来るんだ」ということが実感できた、貴重な体験でありました。

後者の「声門閉鎖」に関しては、「40年生きてきたけど、そんなこと全く意識したことなかった!」というレベルの技術でした。生まれつきのものだと信じて疑わなかったハイトーンボイスのカラクリがそこにあったんだ、と思いました。だからこそ、その存在を実感し使いこなせるようになるまでにはに長い時間と試行錯誤を要するのかもしれません。

これから、これらの技術の習得を目指していく皆さんに、あらかじめ伝えておきたいことがあります。
それは、今頑張っていることが、将来のいずれかの時点で“否定される”、ということです。

共鳴や閉鎖の練習を、日々頑張って行うとします。
ある程度コツがつかめ、自分でも出来てきたような気がします。
でも、さらに先を進んでいる上級者から言われてしまいます。

「力みすぎ、だよ」

もしくは、実感するかもしれません。共鳴や閉鎖が出来るようになってきたけど、憧れのあの歌手の歌い方とは”何か違う”と。がんばって高い声は出せるようになったけど、どうしても苦しそうな声になってしまう。壁にぶち当たってしまいます。

これまで行ってこなかったことを、日々頑張って練習を積み重ねたその先に、「頑張り」「力み」が生じてしまう。これは、当然のことかもしれません。歌唱の場合は、特にこれが発声に悪影響を与えてしまうのです。

ギターを習い始めた人は、最初コードを押さえる手に、凄い力が入っています。それに対して熟練者は、触れているかいないかくらいの力でコードを軽やかに押さえています。この違いは何なのでしょうか。

他の例でも考えてみます。
テニスを習い始めた人は、最初はフォームもガタガタで、体にも変に力が入ってしまうため、ぎこちない動きになってしまうと思います。上達するに従って、徐々に力が抜け、滑らかなフォームになってきます。
ここで問題になってくるのは、まだ力みが抜けていない初心者に、「力を抜くように」とアドバイスしても、それが出来るかということです。どこにどう力を入れていいか分からない初心者にとって、さらに力を抜くように、と言われても、雲をつかむうような話になってしまうと思います。

歌唱でも、同じことが言えるのかもしれません。「力みすぎ」ということが分かるようになるためには、一度「力む」とこが出来るようにならなければならないと思います。100%の状態を知らないのに、50%の状態を維持することが出来るのでしょうか?上級者は、初心者の「力み」が気になり、ついアドバイスしたくなります。けれどもその「力み」が、常に100%を超えてしまっているのか、通常80%でたまに100%に行ってしまうような状態なのか、見極める必要があるのです。

私は、練習を積み重ねて「力み」が出てしまう状態は、一度は経験する道だと思います。時間はかかるけれど、そこを経由することは、無駄ではないと思っています。でも一つアドバイス出来ることがあるとすれば、「頑張り」「力み」が否定される、そういう日がいつか来るんだ、ということを前もって知らせてあげることです。そこでスランプに落ち込まず、誰でも通る過程なんだ、ということを知っておくこと。それだけでも、大分違うと思います。

まとめますが、共鳴や声門閉鎖の練習は、「力み」を生みます。でも力みつつもそれが出来るようなった後で、力を抜いていく練習が始まることを覚えておいてください。